牧師の救いの証
コスモポリタン(Cosmopolitan)
コスモポリタンになるのが夢でした。その夢がかなっていたなら、今ごろ、世界中を飛び回っていたはずでした。それが今では、教会の中でも海外に行ったことのない大人は私たち夫婦だけという貴重な存在となったのです。
コスモポリタンになりたかった理由は二つあります。
第一に、小さな田舎に縛られていたくなかったこと。長野という田舎の、しかも農家の出身であることは私にとって大きな劣等感でした。こんな田舎に埋もれてしまう存在ではない、もっと大きな世界で活躍できるはずだ。広い世界で活躍してこそ生きている意味がある。そういう人間こそが立派な人間なのだ、と。田舎とは錦を飾って帰るためのもの、それが私の思いでした。さて、そのために何をしたか。小学上級生の時から毎日2種類の新聞(全国紙と地方紙)を最低2時間はかけて隅から隅まで徹底的に読む。心が田舎の人間に染まってはいけないので、マナーの本を読んでセンスを磨く。外国に行くには英語が必須。5年生からラジオの英語を聞く。一匹狼に徹して、低俗な友達とは付き合わない。好き嫌いがあるのは男の恥。嫌いな物は徹底的に食べて好きになる。要するにプライドを築き上げる。自分はこんな田舎にいる器ではない、という心の叫びはまさに精神的閉所恐怖症でした。
第二に、国連で世界平和のために生きたかった。新聞を読めば読むほど私の心を捉えたのはどうして世界にはこんなに争いがあるのか。不幸があるのか。すっきりさせたい。小学生時代から高校になるまで毎年一度は繰り返し読んだ本が2冊あります。一冊は母がくれた「クオレ物語」。家内に出会って最初にプレゼントしたのはこの本。高校生になってもページをめくるごとに涙を流して読みました。私の心の原点です。もう一冊が「ああ無情」。今でもそうですが大体において涙もろいのです。弱い者がいじめられているのを見ていられない。一匹狼の血が騒ぐ。アフリカの飢えてガリガリの子どもを見ていて黙っていられない。義憤(ぎふん)。これが好きな言葉でした。中学になると、早速ユニセフの学生会員になりユニセフカードを買い、ユネスコクーリエを購読しては募金しました。世界を救うんだ、アフリカの子どもを救うぞ。すでに私の心は世界に羽ばたいていました。
こんなでしたから、学校では水道の蛇口を閉めて回り、脱ぎ散らかされた靴は「出舟、入り舟」揃えて回り、中学三年間「清美部」という清掃部に入って部長を務め、サボっているやつらを摘発していました。漫画本を買って読むなどとは言語道断。そんなお金があるなら募金しろ!飢えて死んでいく子どもをどう思ってるんだ!
そんな私がイエス様に出会ったのは高校一年の時です。それまでは12/25に生まれた、ということ以外、まったくキリスト教に接したことはありませんでした。高校入学の折、全員に配られたギデオンの新約聖書をもらった時も、最初の一ページでつまずき、終わり。ところが夏休み前、クリスチャンではない英語の先生が教会のキャンプに行けばただで(キャンプ費以外は)英語を教えてくれると言い、みんなに勧めたのです。この先生のモットーは「利用できるものは何でも利用する」。そしてそれは私のモットーでもありました。一年生160人の中で参加したのは私だけ。
さて、かの先生は参加者はみんな初心者だとのこと。ところが行ってみるとほとんどみんな宣教師に引率された東京辺りの高校や大学の英語クラブのペラペラしゃべれる連中ばかり。外人と面と会うのも初めてで会話などしたことのない私。知っている人もおらず、おまけにばかまじめだから「昼間日本語をしゃべったら罰金」などと言われて真に受けて、ショ、ショック。しかし、これこそが神様の私に対する恵みと哀れみだったのです。英語をしゃべれない私の唯一の救いが毎晩開かれた日本語の伝道集会。それが聖書を開き、福音を聞く最初の切っ掛けでした。いつしか、自分がこのキャンプに来た不純な動機を忘れて、「おれは外人に媚を振るようなへらへらした人間じゃないんだ。純粋に聖書を知りたくて来てんだ。」となって、三日目の夜の集会。聖書の次の言葉が私の心の何かを壊しました。
ピリピ3:19「彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。」
自分でも何がどうなっているのか涙が出て止まらず、招きに答えて、イエス様を自分の罪の救い主と信じる決心をしていたのです。
私は自分がまじめな人間だと思っていました。しかし、思春期の心の中の罪の汚さに、悩んでもいたのです。悩めば悩むほど、修行僧のように外面的に立派に振舞いプライドを保とうとしました。飢えた子どもたちを救いたいと思ったのは事実です。しかし、同時に毎年、ユニセフの会計報告が来ると学生会員の募金額を計算しては他人と比較して自己満足に浸っていたのです。そしていつかこの努力が認められて表彰されることをひそかに願っていました。しかしそれはかなわず、いつしか心の中にはつぶやきがいっぱいでした。遠い外国の貧しい子どもを頭の中では涙ぐむほどに愛していましたが、実際目の前にいる、同級生や父母兄弟を愛することはできませんでした。自分はこんなにまじめに犠牲を払っているのにあいつらは何だ。低俗なやつらめ。ある有名なロシアの博愛主義者がこう書いていたのはまさに私自身の姿でした。彼はこう言っています。「今私はロシア鉄道の長い旅をしている最中も、頭の中は世界中のかわいそうな人々のことでいっぱいだ。しかし、この私の目の前にいる病人がいなくなってくれたらどんなにいいか!」偽善。それはまさに私の心をぐさりと刺し通したのです。
小さい時から、仏教の強い家に生まれ、お寺の幼稚園に通い、人一倍罰(ばち)を受けることを恐れて、神様を怖がってきた私。神様とは私にとって、カーテンの陰から見張っている怖い存在以外の何者でもありませんでした。ところが本当の神様は私の汚い心を知って罰を与えるどころか、代わりにご自分の一人子のイエス様を私たちのところに遣わしてくださり、そのイエス様は私の汚い心の罪の罰を代わりに負って十字架にかかってくださった。まさにこの事、罪の赦し、罪からの救いこそが私の心の求めていた事だったのです。
聖書はさらにこう言っていました。ヨハネ8:32「真理はあなたがたを自由にします。」
そして、イエス様は言われました。ヨハネ14:6「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」
イエス様こそ私が本当に求めていたもの、そう、本当の自由。精神的閉所恐怖症から解き放ってくれるもの。
2年後、私は伝道献身の決心をしました。開拓伝道をする場所は生まれ育った長野市。錦を飾るのでもなくだれにも歓迎されないでしょう。また、かつては飛び出したかった所。しかし、イエス様を知って以来、外国に行く事の興味はなくなってしまいました。外国に行った事があるとか、こんな大きな仕事をしていると言った見栄を飾る必要がない、イエス様にある心の自由を知ったのです。田舎に生まれたことの素晴らしさを知りました。緑の目と金髪と長い足にあこがれた中学時代。今はご存じ?三大悪趣味、眼鏡とはげと短足。でもあのイエス様を信じた日以来、私は神様が造って下さった私が好きです。神様が愛していてくださるのですから。
弱い子どもたちを救う事はどうなったかですか。結論から申しますと、聖書を知って、それまでの謎が解けたのです。やってもやっても良くならない。かえって問題は複雑になり、悪くなるばかり。国連は人類の英知の結晶と言われました。しかし国連にこう言う言葉があるのです。「正義は国の数だけある。」即ち、本当の正義は国連にはない、人間の英知にはない、と言う事。なるほど、それで分かった。なぜ争いや貧困や差別、問題がなくならないのか。聖書の言わんとしている端的なメッセージは私の胸に響きました。即ち、「人は人を救う事はできない。神によるしか救いはない。」そして、「まさにその神はを救うために来て下さった。」私の願いは今でも弱い子どもたちを救う事です。救うために、まず目の前にいる人々から始めました。イエス様の福音を伝える根本的な救いから。地道、そう地道です。一歩一歩、そう一歩一歩です。しかし、確実な一歩。
かつては世界に羽ばたいて、錦を飾って凱旋する事を願っていた私。世界中を駆け回って活躍する事こそ素晴らしいと思っていた私。しかし、それ以上に素晴らしい人生を見つけました。私が15歳の夏に経験したイエス様による救いを他の人が経験するのを見る事ができる事の素晴らしさ。あなたにもこの素晴らしいイエス様にある人生を知って欲しいと言うのが私の心からの願いです。
コスモポリタン、それは私の夢でした。そして、今私はその夢を実現して心から喜んでいます。なぜなら聖書にこう書いてあるからです。 ピリピ3:20「私たちの国籍は天にあります。」イエス様にあるなら、まさにその人は本当のコスモポリタンなのです。
小さな町にいても世界中の人のために祈る事ができ、また祈り合う事ができる。そしていつか天国でチャオ!
長野バプテスト教会 馬場善鶴