広汎性発達障害
彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない (マタイ 12:20)
○神様が私たちにSを与えてくださった意味
T姉
しかし、障害を持つ子とその親たちのかかわりの中で、子供の障害が原因で離婚してしまった家庭、反対に夫婦が一致して深い愛情を注ぎながら、子供と接しておられる家庭、と様々な家庭を垣間見る機会が与えられ、私自身深く考えさせられました。それから私はSの障害のことではなく、主人のことを祈るようになりました。
今まで、自分のことは棚に上げて主人のことばかり責めていました。でも私はSの障害が軽くなるとか消えてしまうことよりも、主人と一致して歩んで行くことの方が大きな望みでした。相変わらず、主人は仕事の上で試練の中にありましたが、少しづつSのことを理解しようと努めていることがわかりました。後に、仕事を休んで、Sの受診に来てくれました。そこで、「自閉症」と診断されました。
その後、集団生活の必要性から公立の保育所に通うことになりました。その頃から、自閉症特有の問題行動が頻発しはじめました。常に手を握り締めておかないと一瞬のうちに行方不明になります。本人は全く不安でないので泣きませんし親を探すこともしません。警察の方に捜して頂いたこともあります。
また、物に対してのこだわりが非常に強く、気持ちの切り替えがなかなかできません。一つのことをやめさせて次の事に移るのに大パニックで大暴れをします。本人も親もひどく疲れます。でも、このような場面で周囲の人から日ごろのしつけの悪さなど親への批判を口にされたりします。自閉症は脳の障害で、認知する力が非常に弱いか無に等しいといわれています。しかし、現状は、親のしつけや家庭環境に原因があるように誤解されることが多々あるようです。
又、知的能力においても、かなりアンバランスで、例えば、じゃんけんは難しくて出来ないのに、文字(漢字を含めて)はすらすら読めるといった事がありますが、どうしても、秀でた部分がめだって、できないことを怠けているとかわがままと捕らえられてしまうことも、よくあります。冗談や嫌味がわからず、言葉をそのままうけとめるので、自己否定がひどかったり、誤解を受けていじめの対象になることもあります。
ところで、現在のSは、日々、問題と闘いながらも、思いをはるかに超えた成長を実感しています。Sが、もしいなければ、私はひたすら自分勝手な道を進み、気がついた時には、最も大切なものを失い、途方に暮れていたと思います。家族をつなぎとめ、家庭の大切さを教えてくれたのはSであり、なによりも私を神様から離れないようにつなぎとめてくれたのもSだったんだなぁ、と心から感謝しています。現在、私はSと子供礼拝に出ています。Sが神様のことをどのくらい理 解できているかは、まだよくわかりませんが、みこころの時に救いに導かれ、神様の平安のうちに日々歩んで行く事ができるよう、心から願っています。また、私自身、主にあって育児できる恵みに心から感謝しています。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ-それ は、わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望をあたえるためのものだ。」(エレミヤ 29:11節)
○Sの救い
A姉
原稿の依頼を受けて恵みを思い返して筆を進めている時、息子S(11歳)がイエス様を信じる決心をするという大きな祝福をいただきました。この子が産まれて以来の祈りが聞かれました。7月16日の夕拝の時、Sをかわいがって下さるU姉が隣に座っていて「イエス様を信じる?」とうながしてくださったのでした。
本人から「イエス様を信じる」と聞いたとき「どこまでわかっているのやら?」と不信仰な親は疑問に思ったのですが、以前からSをおぼえて下さっていた神学校のM師よりのメールに「・・人間的な思いの中でいろいろと心配を先取りして悩むものですが、S君はそれを越えて豊かな世界に生きているのですね。神様はそのような彼の世界をも、ご支配になっておられます。またそれを私たちは理解できなくとも、神は十分に承知しておられます。私たちは、自分たちの常識や価値観という固定した思考から踏み出せないものですが、S君はユニークな豊かな世界に、十分に生きることを楽しみ、主に愛されて生きておられることでしょう。・・」この言葉に励まされました。
救いは神様が備えてくださった時でした。素直に前に出て、逃げることなく祈っていただいて、その後も大勢の方が「おめでとう」と挨拶にきてくれた時もニコニコしていました。自閉症で知的障害そして多動の子供にとっては、まさに奇跡の神様のわざです。まさに聖霊が働いたのです。
親なき後のことまた、現在脳波の異常やひきつけの発作を薬で抑えている状態にあるので日々心配ですが、これからどのような将来が待ち受けていても、天国での再会を確信できるのは幸いなことです。
-出生から幼児期-
Sが産まれる時はちょうど、教会で婦人会がおこなわれていて、当時の牧師夫人は集会の途中で、出産のために祈りを捧げてくださいました。多くの方の祈りの内に、安産でほとんど問題もなく、主人がへその緒を切りSは誕生しました。
赤ちゃんがいる生活はこんなに大変なものかと、何人も子どものいる婦人を大尊敬する思いでした。ベビーベッドにすやすや寝ていることを想像していましたが、それどころではありません。いつもいつも泣いて、ほ乳瓶でのミルクは受け付けず、抱いて母乳をやるまで泣き続け、オムツを取り替えるにも着替えるにも大泣き。ほとんど24時間抱っこして過ごしていました。人見知りもはげしく、母以外にはあまりなつかない、強烈な赤ちゃんでした。主人はこの頃、視線が合わないなと感じ始めていました。
幸いアパートの前には広い公園があり、早々にデビューしました。同じ位の赤ちゃんをベビーカーに乗せた数組の親子とお友達になり、午前中公園で遊んで、お昼寝が終わってから誰かのお家へ遊びに行くという大移動を楽しんでいました。Sを通じてできた最初のお友達の中には、一緒に教会付属の幼児園に通って今でも毎週日曜学校や、教会のサッカークラブにかよっている子達。昨年お母さんと一緒にバプテスマを受けて教会員になった親子もいます。他のお母さんたちもクリスマス婦人会や、特別集会に来て下さることもありました。
神様に用いられる子ですが、なかなか言葉が出ませんし、コミュニュケーションも他の親子のようにはいかない気がして、1歳半検診で少し心配であることを相談しました。それから、保健婦さんが毎月お電話をくださり、「S君どうですか?」「言葉も出ないし、全然変わりません」といつも成長がみられないことを告げていました。
2歳半のころより、市福祉センターの遊びのグループを経てA学園(障害児通所施設)に通園する事をすすめられました。そのような園の存在すら知らなかった私ですが、A学園へ行けばおしゃべりもできるようになると考えていました。
3歳より教会付属の幼児園とA学園との併用が始まりました。幼児園の集団での活動はほとんど参加できず、一人の先生がつきっきりで献身的に世話をしてくださっていました。絵本をたくさん読んでくださったので絵本が大好きになりました。
一方A学園では食事、着替、トイレの身辺自立、そして、ボールプール、豆プール、室内のブランコにのって前にある箱を蹴る等の感覚統合訓練、言語訓練が行われました。同時に親には障害児であるということが知らされてきました。
もちろん3歳の子どもの将来がすべてわかる人はいないので、医師でさえも「自閉症」とは、はっきり断定しないので、その断定されないわずかな部分に望みをおいて、「アインシュタインだって5歳まで話さなかった」とか「男の子は口が遅いものだ」などそんなことにしがみついたり、「障害児なんだ!」と悲しくて、夜密かに泣いたり苦しいときでした。夫は「いつか直る薬が発明されるよ」といって、別に悲しむ風もあわてる風でもありません。また両親もSの発達の遅れをとやかくとがめなかったことは本当に助かりました。
私は、「人より出来て当たり前。優れている者にこそ価値がある」という愚かな価値観の持ち主でした。胎教と称して、英語歌のテープを聞かせたり、家中に絵カードを貼ったりする教育ママです。ですから人並みでない子どもなんて、考えられなかったわけです。
自閉症をわかりやすく説明しますとこのようなものです。(詳しくはこの証しの最後に記しています)
*脳の障害によって起こった発達障害です。原因は不明。脳の情報処理をする過程に障害があります。認知に、障害があり、周囲の環境や状況の意味を理解することが困難です。70%~80%は、精神遅滞を伴っています。家族の接し方や養育態度によるものではありません。自分のからに閉じこもって自閉症になるのでもないのですが、世間ではまだ誤解があります。(臨床心理士:安倍陽子氏による)
-小学校生活-
「主によって喜びをなせ、主はあなたの心の願いをかなえられる。 あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主はそれをなしとげ、」(詩篇 121:2)
小学校の事を考えるととても不安でした。障害があっても一人っ子だし、地域のお友達と過ごさせたい、学区の普通の小学校にと強い希望がありました。色々な情報を収集し、ドキドキしながら就学時健診に臨みました。校長先生によばれ、就学相談所からの呼び出しがあり、幼児園に相談員が見学に来たり、知能テストをしたり、親は教育委員会の偉そうな人達にかこまれて、やっと地域の学校への就学通知をもらいました。主に感謝しました。入学前に校長先生や担任の先生へ挨拶に行きました。不安は一杯でした。
案の定一日目、担任の先生より電話があり「席に座らないで走り回るので、お友達が押さえたら噛んだんです。まあ、そういう状態です。」かなり落胆しました。学校にしばらく付き添うと先生に申し入れました。この方法がよかったのかどうか今でもよくわかりませんが、先生はいつも母親の目があってやりにくかったでしょう。私の方はどうにか学校生活を送れるようにと必死でした。クラスの子もお母さん方もそして上級生もとてもよくしてくれ、Sと一杯関わってくれました。
しかし、休み時間に上級生のまねをして柵にのぼり(高いところは大の得意なのですが)数メートル下のコンクリートに頭から落ちて額にザックリ11針も縫う事故がおきてしまいました。そんなこともあって、付き添いの私は益々学校から離れられなくなり、学期ごとに校長先生はじめ教育委員会の偉そうな人達にかこまれて、なにやかにや(良いことなんてあるわけないのですから)言われるのも、胃が痛みました。
教育相談所のアドバイスにより2年生の3学期より一人で学校へ行くようになりました。この進歩は嬉しいのですが、学校の様子が見えないだけに、心配は膨らみました。冷蔵庫に貼った御言葉を何度も何度も繰り返す毎日でした。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」 (詩篇 55:2)
3年生になり、新しい担任の先生になりました。自分が受け容れられているか、かわいがられているかということに敏感なSは先生が大好きでした。黒板消しの係も与えられ、嬉しそうに仕事に励んでいました。Sが友達を誘い校門にぶら下がって何人もの友達が道路を通る車を眺めて遊んでいることもありました。中には教会の子供会や、ミニ四駆大会に来たり、イエス様を信じて日曜学校を楽しみにしている子もいます。
4年生になり先生が替わり、勉強も抽象的になり、つまらなくなったSは相手をしてくれる校長先生や保健の先生、音楽の先生のところへ入り浸るようになりました。「運動会の練習に参加しないので当日は出しません」という悲しい通達までうけてしまいました。なかなかうまくいかないものです。
祈り求め、Sを受け止めてくれ、今この時期に必要な訓練や学習ができる所をと心障学級への転学を4年生の2学期にしました。地域の普通学級にこだわっていた私でしたが恐れることなく積極的に校長先生や担任、就学相談に相談し、平安の内に道が開かれました。路線バスに乗っての通学に車好きのSは大喜び、「学校替わってよかった!」と本人の口から聞くこともできました。
通常なら、それで以前の学校のお友達とは切れてしまうのですが、神様は私たちの願いを聞き入れてくださり、週1回は遊びに来てファミコンなどで遊ぶ子達がいたり(ファミコンはコミュニケーションの苦手な子どもも普通の子と同じ土俵で遊ぶことができる文明の利器です)、道で会うと声をかけてくれる近所のお母さんたちも多くいます。地域のお友達と過ごさせてやりたい、地域の理解を大切にしたい、と言う願いを神様は聞いてくださっています。
-現在のS・・教会にとって必要な肢体-
「そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり…」
数年前、M師がこのコリント人への手紙第1 12章22節の御言葉を解き明かしてくださいました。「S君は教会にとって必要な大事な存在なのですよ。それに、聖書では弱い肢体とは言ってはいない、あくまでも弱く見えると言っているのです。そんなS君と毎日生活するご両親はどんなに幸いでしょう。」
眼から鱗とはまさにこの事、M師はいつもこの信仰をもって牧会されておられるのでしょうが、障害のある子どもが教会にとって必要な存在なんて、考えてもみませんでした。ちょうど私はどうしたらこの先Sが信仰が持てるようになるのか?礼拝のメッセージは理解できないだろうし、と思い悩んでいました。しかし、愚かな母親の思いを越えたところに御言葉の真理がありました。事実、救いをいただだいたのです。
「この律法の書をあなたの口から話すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることをことごとく守っておこなわなければならない。そうするならばあなたの道は栄え、あなたは勝利を得るでしょう。」(ヨシュア記1:8)
わが家で真剣に家庭礼拝を持つきっかけとなったのはアメリカにいる母の友人K姉がSの誕生日に、この御言葉と御言葉を日々学ぶ本を買うようにと何ドルか同封してくださったからです。K姉の愛と御言葉に示されてキリスト教書店で子ども向けの聖書を求め、幸い絵本は大好きなので幼児の頃から毎晩1つお話を読み親子で祈るようにしていました。
いつのまにか今では普通の聖書を一節ずつ交読し祈るのですが、何か教会の肢体の一部になればと病気の方々のために祈ることを教えました。自分の役割をとてもよろこんで祈っています。時々もう治った方のお名前や、自分の身近な人が加わることもあります。お祈りをし聖書を読まなければ眠らないという自閉症のこだわりも良い方に働いています。
-現在の私-
「安心して行きなさい。どうかイスラエルの神があなたの求める願いを聞きとどけられるように。」 ・・こうして、その女は去って食事し、その顔は、もはや悲しげではなくなった。 (サムエル記上1:17~18)
そういえば私はいつの頃からSの障害について泣かなくなったのでしょう。もちろんがっかりする事が次から次へとやってきて何度も落胆しましたが、根本の障害児を育てる事を悲しまなくなったのはいつからなのでしょうか。
先日日曜学校でこの聖書箇所から学びました。ハンナは不妊の苦しみを祈り、神様が祈りを聞いて子どもを与えてくださったから悲しみがなくなったのではない、妊娠の兆候が現れたわけでもない、現状は何も変わらないのに、もはや悲しげではなくなったのです。神様が与えて下さる平安はこれです。祈ると現状が変わらなくても平安になるのです。障害児だと知らされ始めた8年前にはちっともわからなかったことでした。それに、ハンナのように祈ってすぐの平安ではありませんでした。しかし、日々の訴えのような祈りに神様は確かに答えて平安を与えてくださっていたことを発見し恵まれました。これからもSを通して出会う、子ども達やご家族が主の元に重荷を下ろすことができるように用いられたいと願います。
「嵐の思春期」も目前です、健常の子も思春期は大変ですが、自閉症の場合体内の変化を十分に発散できないこともあるでしょう、思春期に反社会的な行動など色々な問題を起こすケースも多いと先輩お母さんから聞いています。本当はそんなことも乗り越えたお母さんがこの原稿を書くのにふさわしかったかもしれません。わたしなどは、障害児の母としてもほんのひよっこ、試練はまだまだ続き、それを上回る神様の恵みもまだまだ続くのです。
「主は言われる、わたしが、あなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。
それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、
あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。
その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。
わたしはあなたがたの祈を聞く。」 (エレミヤ29:11~12)
自閉症の特性
コミュニケーション困難で、言葉の発達に遅れがある。
対人関係や社会的な関わりが困難である。
活動や興味が狭く、繰り返しやこだわりがある。
感覚にアンバランスさがある。
知的能力にアンバランスさがある。
意味づけ・抽象的な試行・判断などが困難である。
構成したり順序立てることが困難である。
自閉症の特徴(一般に自閉症の人は下記の特徴の半分はもっています)
通常の教育の方法にはのらない。
不適切な笑い方やくすくす笑いをする。
「どこ行くの?」「どこ行くの?」とオーム返し
耳が聞こえないかのように振る舞う。
明らかな危険に恐怖心がない。
痛みに鈍感である。
泣き叫びかんしゃくがある。理由のわからない苦痛の態度を示す。
物をくるくる回す
愛情を示しても反応しない。
奇妙な遊びに没頭する。
他の子ども達の中に入れない。
習慣をかえることに抵抗を示す。
視線が合わない。
よそよそしい態度を示す。
粗大運動と微細運動にアンバランスがある。
物に対する不適切な愛着をしめす。
非常に多動であったり極端に受け身的であったりする。
自閉症の手引き(神奈川県自閉症児・者親の会連合会)参照
○『一日の重荷』
A姉
学校から仕事へ
養護学校の高等部では、社会に出て働くということに目標が定められていました。実習が何度か行われ、その中で現在のK授産所がSに一番合っている、よい職員さんたちに囲まれたところで働けたらと願いました。しかし、Sが小学生の頃から「この子たちが卒業する時には、市内の作業所や授産所は定員が一杯で入るところはない、親たちが作らなければ」と言われ続けていました。実際3年間定員一杯で新規の入所者はいませんでした。しかし、問題となっている自立支援法が施行されK授産所が法内化への整備をしたことにより、定員が増え、入所を希望したSが入れたのです。神様は国の法律までも変えてSに最善の道を備えてくださるのだと感謝しました。
恵みを数えて
Sの周りにはいつも神様が最善の人と環境を備えてくださっています。
中学校では暴力的な教師に会い転校しましたが、転校先には以前の担任の先生が新しい学校の制服やジャージを卒業生から譲り受けて待っていてくれました。しばらくは荒れていましたが、愛情深い指導や様々な経験を通じて安定してきました。
養護学校の高等部では、多くの保護者が「担任の先生とうまく行かない」と不満の中、Sをよく理解し母を励ましてくれる先生方に出会いました。
医療機関では、自閉症専門の重鎮の医師が主治医となり、てんかんの発作が頻繁に起こるようになると、主治医は神経科のクリニックへ紹介状を書いてくれました。何と、てんかん学会元会長でした。大病院とは異なりクリニックであるため発作があったらすぐ相談、受診できる体制であることは何より安心です。
また、大事な教会の日曜学校の先生は、小学校中級から高校1年まで、福祉職についている兄弟が担任してくださり、Sも慕っていました。その兄弟が転勤してしまうと、養護学校の教員をしている壮年の兄弟が担当してくださり、分かりやすい指示でみんなと一緒にクリスマスのハンドベル賛美にも参加することができました。すてきな青年の教会のお兄さんたちにあこがれ、婦人達にかわいがられて、教会が大好きです。
養護学校の友達と調理や外出をする放課後活動グループに参加しています。そこで出会ったボランティアさんたちをSは大好きで会うのを楽しみにしています。
幼児期からかよっていた療育機関の先生方にはいつも適切なアドバイスをいただいてきました。
週一回一緒に外出するガイドヘルパーさんもよき理解者です。これらは母の思い願いを越えた恵みです。
自立、試練、のがれの道
さて、健常の子どもならば自然に身につくことでも、ハンディのある子どもには意識して目標をもってできる事を一つずつ増やして自立にむけて取り組んでいきます。衣服の着脱、トイレ、入浴などの身辺自立。買い物、交通機関を使った通学、外出、留守番。家庭の中では、トイレ風呂掃除、洗濯物たたみ、米とぎ、簡単な調理、皿洗い等の家事役割分担。
随分できるようになり安心していた高校2年の時でした。外出先や通学の駅、教会でも対人的な問題行動を起しました。落胆しました。障害があるからといって許される事ではない問題でした。相手があることです。震えながら相手の方に謝りました。Sには視覚的に写真などを示して教えました。約束をしてもそれを守るという確証はありません。明日から交通機関を使って一人通学することはできない。母は仕事をやめて付き添わなければならないのか。
しかし、神様は37年前からこの日をご存知で、のがれの道を備えてくださっていたのです。私たちの教会、調布バプテストテンプルはこの時創立37周年でした。Sの学校は16年前にこの教会から歩ける距離に建てられました。教会付属の幼児園で働く母の元へ学校から徒歩で戻り一緒に帰宅する方法があると示されたときに、問題行動によるショックより、神様をほめたたえる気持ちでいっぱいになりました。
『神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。』(Ⅰコリント10:13)
福祉サービスの利用
現在通っているK授産所は教会と自宅の間にあります。朝夕の送迎が可能です。いい年の青年がいつも母親と一緒ではと、週一回ガイドヘルパーさんと図書館や買い物をしています。ヘルパーさんを探す時も祈りつつ導きを求めました。良い事業所に出会い、理解のあるヘルパーさんに担当していただいています。Sもヘルパーさんとの外出を楽しみにしていますし、私にとっても仕事や買い物をゆっくりできる時間です。また、ショートステイを利用して親の長時間の用事や仕事に対応しています。
支援センターが開催する「障害者のマナー講座」にも定期的に出席しています。そこでのアドバイスは思春期から青年期にかけて有益なものです。
・ プライベートとパブリックの違いを知る。
・ 母を通して社会との距離のとり方を学ぶ。
・ 精神年齢ではなく、体の実年齢で考える。
・ 普通にできるということはすごいこと。できた時にはよくほめる。肯定する指導。
・ ダメダメではなく「こうすればいいんだよ」を学んでおく。
一緒にいる時間が長いだけに、実年齢での付き合い方を心しなければと教えられました。
将来の事、親亡き後への不安
いつまで親が送迎するの?親が病気になったらどうするの?親が年取ったら?親亡き後は?心配し始めたらきりがありません。そのような時に婦人会の機関誌「いこいのみぎわ」(2006年夏号)の記事に励まされました。(以下抜粋)
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“ABIDING IN CHRIST”〈Devotionals〉Cynthia Heald著より
小菅 紀久子訳
『一日のことは一度だけ』
「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。 一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」マタイによる福音書6章34節
「イエスさまから目を離さないようにしなさい、そして一日のことはその日一日だけで済ませなさい」と。これは単純なことのようですが、私たちの人生が主のみ手の中にあることをもう一度新に覚えることで、大きな安堵感をいただくことが出来るのです。
私たちは出来る限り主のご栄光を表すために今日という日を生きる必要があります。今日を主と共に過ごす時としましょう、そうすれば御心がはっきりと分かります。そして、今日私たちに与えられた時間を出来る限り最善なものにしましょう、そして明日のことは主におまかせしましょう。
主は、私たちの重荷をすべて主のもとに下ろすように呼びかけておられます。私たちの天の父は私たちの必要をご存知です。私たちの人生で「もしそうだったらどうなるだろう」などという心配事が無くなったらどんなに気が楽になるでしょう、ただその代わりに神の国と神の義を求めさえすればよいのですから。
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私たちは人生を一時一時で捉えるようにしなければならない。現実に直面している問題は通常それ程耐えられないものではない、ただ、過去と将来の重荷をそれに加えさえしなければ、と私は思うのである。
C.S.ルイス
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神様に生きていることを許されている、今日一日できることだけをしよう。それだけで大丈夫。後は神様が最善の道を開いてくださる。そのように導かれた時から重荷が軽くなりました。もちろん、目標や希望もあります、そのために準備もします。しかし自分の計画に固持することなく一日一日神様に期待してお任せしたいです。最善最高が備えられているのですから。
現在のSの状況は、自立と逆行しているかもしれませんが、神様の平安の内に親も子も家族皆がいられることを感謝しています。
『人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ』(箴言19:21)
『わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。』(ヨハネ14:27)
(聖書のみ言葉は口語訳聖書より引用しています)
○アスペルガー症候群と私
リチャード・エンターライン師
概略は次のようなことです。アスペルガー症候群はヨーロッパの精神科医によって約65年前に確認されたもので、過去数年間で研究はとても進みました。この医師によって報告された症状には次のようなものがあります。一つのこと、たとえば自動車のナンバープレートの数字や、列車やバスの時刻表、バスケットボールなどに非常に集中する(ほとんど執着と言えるほど)、他人を社会的に認識することができず、特に言語的、あるいは非言語的な(身ぶりでの)社会的な合図が理解できない、物事を文字通りとらえ、意図された比喩的な意味をとらえることができない、ある一つの領域に非常に抜きん出ておりその分野での専門家になる傾向がある、身体的な共同作用がぎこちなく下手である、独特の変わった歩き方をする、普通は気にならないことを拒否する頑固さ、事実の蓄積はできるけれどもその情報を有効に活用することができない、ほとんどの人が気にならないような物音や周囲にある気を散らすもの(たとえば、蛍光灯や冷水器のブンブンいう音など)に敏感、一般的にソーシャル・スキル(訳注※1)が苦手、睡眠障害、人から利口ぶったうぬぼれ屋に思われるなどです。アスペルガー症候群が高機能自閉症の穏やかな型なのかどうかについてはいまだに議論のあるところです。時々アスペルガー症候群の人たちは自閉症スペクトラム(訳注※2)に属すると言われます。これは、彼らが多くの自閉症と同じような問題を持っていることを意味しますが、その傾向は自閉症ほどはっきり現われないのです。
アスペルガー症候群で苦労するのは一般的に男性ですが、男性だけの問題ではありません。不幸なことに、アスペルガー症候群の女の子は、良い子で先生たちに対してトラブルを起こしたりしないので見過ごされがちです。その結果、彼女たちは役に立つような助けを受けられないのです。男の子の問題は小学校で女の子よりもはっきりと現われます。たとえば、私は先生に言われても絶対に右利きに直そうとはしませんでしたが、アスペルガー症候群の女の子なら先生の命令に従うかもしれません。彼女たちは一般的に物事が整然として静かであるのが好きなのです。
アスペルガー症候群についての記述を読んだ時、最初私はとても動揺しました。私の心は即座に否定しました。私はアスペルガー症候群じゃない!しかし、いったん落ち着くと、私は自分が読んでいたことをより理性的に考え始め、その本が多くの点でまさしく私のことを説明していると理解したのです。急にすべての歯車がカチッとはまったかのようでした。突然、それまでの人生でわけがわからなかった多くのことに、ある意味、合点がいったのです。言葉にするのは難しいですが、いつも自分を悩ませてきたことに説明がつくことがわかって心底ほっとした、というような感じでした。他の多くの人のように社会的・身体的にふるまうことができないことに対する内面的で不合理な罪悪感から解放されました。私には社会的な状況で責任あるポジションを引き受けようとする傾向があったのですが、それが、自分を管理する立場に置いた方が何が起こっているのか理解しやすいからという事実の結果であったことを悟りました。いつも、多くの的外れに思える質問を尋ねずにはいられない迷惑な性質だったのですが、それは、ただ新しい社会的状況で何が起こっているかをはっきりさせるための私の試みだったのです。大学時代、一番仲の良かった仲間たちが私の歩き方を笑ったのを赦すことができました。彼らはかつて、学生が何百人いても、ひょいと浮かび上がっては下がる変わった歩き方で私を見分けることができると言ったのです。義兄は昔、並んで道を歩いているといつも私がぶつかってくるので腹を立てていましたが、それもやっと理解できました。彼はしょっちゅう私に「お前はまっすぐ歩けないのか?」と文句を言っていましたが、本当に私は歩けなかったのです!また、私の養父は、私が明らかに知能は高いのにもかかわらず見聞きしたことを考え合わせて推測できないことに対して、しょっちゅういらついて怒っていましたが、それも納得できました。
自分の人生を振り返ってみると、そのような困難にもかかわらず、神は私をご自身のしもべとなるよう準備してくださっていたことがわかります。神様が私に与えてくださった能力の一つは、語学の能力と勉強が楽しいことでした。日本に着いて32才で日本語を学び始めた時、それほど難しくありませんでした。いつも周りと合わないと感じていたことは、日本で外国人として住むことを容易にしてくれました。自分が将来も日本社会に決して100%順応することがないのも悩みにはなりません。
アスペルガー症候群の人が個性を持っていることを理解することは大切です。全員を全く同じ傾向と興味を持つ者として一緒くたにすることはできません。その程度も典型的な特色の現われも非常に多様です。このことは、アスペルガー症候群の個々人と関わる人々にとって非常な努力を要求される仕事になります。その人の特性を見極めることは困難です。しかし、いったん見極められると家族、友人、先生、教会の兄弟姉妹はより忍耐を持ち、アスペルガー症候群の人々が直面する社会的な困難を説明してくれるかもしれません。それは、日本人が初めて日本に来たアメリカ人に日本のソーシャル・スキルを説明しようとすることとよく似ています。まさしく第1コリント12:12-17はこの状況にあてはまります。
『ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。』
弱かったりその場にそぐわないように見えたりするクリスチャンにも、キリストのからだである教会全体の中でかけがえのない役割があるのです。
最近では、アスペルガー症候群についての意識が高まり、早期に適切な介入が得られるようになり、アスペルガー症候群の人々に非常な助けとなっています。少なくともこのような助けはアスペルガー症候群で苦労している人と、彼らを愛しより良い関係を持ち理解したいと願っている人との双方にとって大いに役立ちます。私の妻はいまだに私に関することで苦労していますが、今は何が起こっているのかわかるので、理解しやすくなりました。彼女が以前より忍耐深くなり、時間をとって私に周りの状況を具体的な言葉で説明するのは、私が状況を把握するのに役立つことをわかってくれています。