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染色体起因障害

彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない (マタイ 12:20

○期待したこととは違っても…

デイブ&マーシー・バンス夫妻

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。(詩篇62:5)
 神様は私たち家族に、この聖書の真理を体験するユニークな機会を与えてくださいました。私たちは、この詩篇を書いたダビデが学んだことを実際に学ぶようにと神様に導かれました。そこから教えられたことをあなたにもお分かちしたいと思います。
 結婚して約2年が過ぎた1982年の春、私たちは最初の子供を楽しみにしていました。初めて親になる人はほとんどそうだと思いますが、私たちはこの子が理想的な子供であるようにという期待を抱いていました。しかし、4月、娘のエステルは、ダウン症候群と重篤な心臓の奇形を持って生まれ、私たちは突然、自分たちの抱いていた期待を諦め、障害児を持つという現実を受け入れることを余儀なくされました。私たちの生活はじきに、理学療法、作業療法、さまざまな専門医を訪ねることで忙しくなりました。主は、すべてのいのちは神からの賜物であることを、私たちがよくわかるように教えて下さいました。
 1984年、2番目の子供がじきに生まれるはずでしたが、それまでに私たちはダウン症の子供を持つほかの多くの家族と出会っていました。私の知っている限り、ダウン症の子どもを持つ家族は、次に与えられるときには必ず「普通の」子どもにめぐまれていました。私ちは、自分たちもそうなるだろう、と期待していました。にもかかわらず、神様には別の御計画があったのです。1984年5月29日、息子のジェレッドは生まれ、やはりダウン症と重篤な心奇形がありました。もう一度、私たちは、自分たちの期待を諦め、神様が私たちのために選んで下さった完全な御心を受け入れました。神は恵み深く、他人と自分たちを比べることの空しさを教えてくださいました。
 私たちには、神様が与えて下さったもの以外には何もないからです。二人のハンディを持つ幼児の世話をする中で、疲れきってしまったり困難を覚える日が多くありました。1985年、エステルは開胸心手術を受けました。次の冬、ジェレッドは慢性肺炎、うっ血性心不全、肺高血圧症に苦しみました。どうしても開胸心手術が必要になりましたが、生存率はたった40%でした。1986年5月、やっと手術を受けることができ、私たちは多くの祈りに対するすばらしい答えを目の当たりにしました。彼は完全に回復し、元気いっぱいな男の子になったのです!
 次の家族の危機は、子供たちが学齢に達したときに起こりました。公立学校は、神様を無視した人間的な考え方に基づいて教育が行われているので、子どもたちをクリスチャンスクールに入れるべきだ、という神様からの確信が私たちにはありましたが、私たちが住んでいた中部インディアナ州のクリスチャンスクールの中には、彼らの特別な必要に応じる準備がありませんでした。
 私たちはジョン・バーン博士によって始められた特殊教育のユニークな働きのことを聞きました。サウスカロライナ州グリーンビルにある、ヒドゥン・トレジャー(隠れた宝)と呼ばれるクリスチャンスクールのことです。そして、私たちは、子供たちを入学させるためにそこに転居する事を主が導いておられる、と確信したのです。しかし、障害となるものは人間的に言えば山ほどありました。
 まず、私たちは家を売らなければなりませんでした。その地域はとても経済的に不振で、ほとんど一区画毎に家が売りに出ているような状態で、しかも買い手はほとんどいませんでした。しかし、「売家」の看板を掲げてから2週間で、家は私たちが希望した価格で売れたのです。これは主から出たことだと私たちは知りました。600マイル離れた所への引っ越しにまつわるこまごまとした事すべてにおいて、主はとてもはっきりと道を備えてくださり、私たちは神の摂理に絶えず驚かされました。
 二人は入学してから、あらゆる分野で成長しました。彼らの健康的な問題や行動上の問題には、今でもしばしば手がかかりますが、ヒドゥン・トレジャーの教育哲学にはとても励まされます。それは、「神は私たち一人一人に、ご自身の完全なみこころを行うのに必要なものは全て与えてくださった」というものです。
 二つのすばらしい日がありました。エステルがイエス・キリストを自分の個人的な救い主と信じた1991年8月1日と、ジェレッドが救われた1994年2月9日です。知的な遅れのあるこのような子供たちでも、救いの必要性を理解し、キリストの永遠のいのちの贈り物を受け取れるほど、神が救いの道を単純にしてくださったとは、なんという恵みでしょうか。彼らは、すべての人は罪の性質を持って生まれ、それが神から人を離していることを理解しました。誰にとっても神のもとに来ることのできる唯一の道は、イエス・キリストと、その十字架上での犠牲を通してなのです。
 もしあなたも、クリスチャンとなり、永遠のいのちを持ちたいとお思いになるのなら、次のことをよく考えてみてください。

§ あなたは自分が罪人であることを認めますか。
 『すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ(ない)。』(ローマ3:23)
§ あなたは、もし神に救ってくださるよう願わないなら、自分の罪の故に死ぬ(永遠を地獄で過ごす)ことを理解していますか。
『罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。』(ローマ3:23)
§ あなたは自分で自分を救えないことを理解していますか。
『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身か ら出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。』(エペソ2:8-9)
§ あなたは、キリストがあなたの身代わりに死んでくださったことを信じますか。
『しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』(ローマ5:8)
§ もしこれらの質問に「はい」と答えられたのなら、正直に、今すぐ、自分は罪人であることを主に告白し、救ってくださるよう祈ってください。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネ3:16)
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを 遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。』(ヨハネ5:24)
『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者 の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』(ローマ10:9-10)


 もしかしたら、あなたの人生の状況もまた、あなたの抱いていた期待とは全然異なったものであるかもしれません。あなたはそれに対して、挫折感を感じたり、いらいらしたり、苦々しく思ったりしていますか。それとも、神があなたに何かを教えるために許されたこと、そして神のご計画されたことでさえあるのだ、と受け止めていますか。あなたは、神には間違いがないことを信じていますか。私たちが、神のみこころに逆らったことをしてしまうことはあるかもしれません。けれど、神が御計画されてクリスチャンに起こることで、神のみこころからはずれたことなど一つもないのです。

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○神の道

エイミー・ラスクレイン姉

 私たちの2番目の子どもジョナサンは、運動面での発達が遅く、とても人懐こく、それは歩き始めても同じでした。1才8ヶ月頃に、彼はウィリアムス症候群ではないかと言われました。当時はウィリアムス症候群のための検査はなかったので、臨床症状から診断されました。そのとき私は3番目の子を妊娠していたのですが、医者は私のほうを向いて、生まれてくる子については心配ないですよ、ウィリアムス症候群が家族内で繰り返し生まれる事はありませんから、と言いました。私たちは、ジョナサンを助けるために、ウィリアムス症候群についての情報を集め始めました。
 3番目の子アンドルーの出産には何の問題もありませんでした。病院から彼を連れて帰る日の朝、看護婦が心雑音に気づきました。医者は、心雑音は赤ちゃんにはよくあることで、その問題が何であるかの正確な診断のために、小児心臓専門医を紹介してくれました。心臓専門医は、アンドルーは二つの心室の間に小さな穴が開いているけれど、続けて様子を見ていけば、自然に穴がふさがる事もある、と説明してくれました。心臓の欠陥は珍しくもなければ、警戒を起こさせるようなものでもありませんでした。
 アンドルーが生後6週間の頃、ヘルニアがあることが分かりました。医者は、ヘルニアは男の子の赤ちゃんにはよくあることだと私たちに言い、その修復のために外科手術が行われました。その時も、私たちは、これは珍しくもなければ、警戒すべきことでもないと感じていました。
 その夏、WSA: ウィリアムス症候群協会(公式サイト:Williams Syndrome Association)の国際大会が開かれる事を知りました。この大会は、2年に一度開かれるもので、これを逃したらウィリアムス症候群について多くの知識を得る機会は当分ないかもしれませんでした。私たちはその週末3人の子供たちを私の実家に預けて、マサチューセッツ州のボストンでの大会へ、息子ジョナサンのためにできる限りウィリアムス症候群について知ろうと出かけました。
 アンドルーの3ヶ月検診のために小児心臓専門医のもとを訪ねた時、私たちは息子ジョナサンのためにWSA大会に行ったことを話しました。心臓専門医は、「私はお宅にウィリアムス症候群の息子さんがいる事を前にお聞きしていましたっけ?」と尋ねました。私たちが、「お伝えしたことはなかったと思います。」と言うと、その医師は、「私はアンドルーの顔を見ながら、『ウィリアムス症候群』かな、と思っていたのです。」と言ったのです。
 私たちは唖然としました。ウィリアムス症候群が家族内に繰り返し生まれる事はないと思っていたのに、私たちにはウィリアムス症候群の息子が二人いるなんて!
 その検診の直後、私達家族はカリフォルニアへ引っ越して、何人かの新しい医者に診察してもらいました。最初の医者はジョナサンを診て、「ウィリアムス症候群?この子は違いますよ。でも、この赤ちゃんは…」小児科医、心臓専門医、遺伝科医、神経科医に診てもらう中で、ジョナサンはウィリアムス症候群ではなく、アンドルーがウィリアムス症候群だと診断されました。ジョナサンはその後発達が追いついてきて、今年は6年生として元気にやっています。
 主はジョナサンはウィリアムス症候群ではなく、アンドルーがそうであることをご存知だったのです。WSA大会が2年に一度だけで、アンドルーが成長するにつれ情報が必要になることもご存知だったのです。アンドルーはその当時臨床的診断を受けるには幼すぎましたので、主は私たちが情報を得るためにジョナサンを用いてくださったのでした。
 アンドルーは気難しい赤ん坊で、夜しょっちゅう泣きました。何をやっても彼をなだめすかす事はできませんでした。アンドルーが6ヶ月になる頃には、徐々に発達の遅れが目につくようになってきました。心室の間の穴は言われた通りふさがりましたが、新しい心臓の症状が見つかりました。心臓のすぐ上の大動脈が細くなっていて、そこを通って血液を押し出すために左心室に負荷がかかるのです。この心臓の症状は、ウィリアムス症候群にはよく起こるものでした。アンドルーは1歳の時に心臓カテーテルを行い、2歳半で心臓手術を受けました。彼は3歳になるまでほとんど発語がありませんでした。ところが話し始めると、いきなり2語文、3語文だったのです!
 アンドルーが学齢に達してから私は数年間、長女、長男と一緒にアンドルーをホームスクール(自宅で親が勉強を教える事)で教えました。普通のカリキュラムを使って、ただスピードを遅くして教えようとしましたけれど、彼は文字を理解するだけでもとても時間がかかりました。ましてや簡単な算数などは、彼にとってさらに難しかったのです。
 さかのぼって8年位前、まだアンドルーが赤ん坊の頃、私たちはクリスチャン特殊教育学校のHidden Treasure Christian Schoolについて聞いたことがありました。隣人のジョンがクリスチャンで、彼の教会で宣教カンファレンスが行われたのです。その宣教カンファレンスの時、ジョン・ボーン牧師がHidden Treasureについて語りました。ジョンは翌日ボーン牧師を空港まで送ったのですが、その1時間の間、彼はHidden Treasureについていろいろなことを聞き、ボーン牧師にアンドルーのことを話したのでした。主はなんとすばらしいことをしてくださる方でしょう。とにかく、そのジョンからの話を通して、私たちはHidden Treasureと関わりをもち始め、その働きの支援を始めましたが、グリーンビルへ引っ越すことなど思ってもみませんでした。私たちはただ、クリスチャンの特殊教育学校は素晴らしい働きだな、と思っていただけでした。
 アンドルーにホームスクールを続ける内に、彼も私もますます挫折感を味わうようになり、私は、彼は進歩していないと感じました。同時に、私は彼のために最良の学校環境を提供してやっているのだろうかと疑問を持ち始めました。夫のデイブは1999年に海軍を退役する事になっていて、その後私たちは海軍によって、どこでもアメリカの好きな町へ引っ越す事ができるようになっていました。デイブは引っ越すならグリーンビルだと決めましたので、アンドルーはHidden Treasureに行くことができるようになったのです。私たちは去年の夏にグリーンビルへ越してきて、それから1年間というもの、アンドルーはHidden Treasureで大きな進歩を遂げました。私たちはこの学校と彼の担任のオグル先生に心から感謝しています。
 今、アンドルーはとても人懐こい10歳の少年です。彼は、ウィリアムス症候群に典型的な顔立ちと性格をしています。彼はとてもやせていますが、全身状態は良好です。彼は今、2年生の勉強(アメリカでは普通7歳の子供がする勉強)をしています。
 アンドルーの人生のすべての段階で、神様に彼の障害を感謝してきました、と書くことができればどんなに嬉しいことでしょう。でも、それは本当ではありません。彼が診断された時信じられませんでしたし、将来の不安がありましたし、完璧でない子供を授かったことへの怒りもあり、神がアンドルーを形づくられた時にご自身がしようとしておられることをちゃんと知っておられたという全般的な信仰も欠けていました。もちろん、私は間違っていましたし、私の罪の性質は残念ながら健在なのです。アンドルーが小さい時、私は、彼が大きくなったらどうなるのだろう、と心配ばかりしていました。私は、主が私に行くべき道を教えようと願っておられるという事実を見失っていたのです。
「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。」(詩篇32:8)
 主は一歩一歩私を導いてくださいました。私たちが自分の計画を20年、あるいはそれ以上も詳細に決めてしまうことは、神の望まれていることではありません。神が望んでおられるのは、人生の歩みで一歩一歩主に従うことを追い求めることなのです。「もし私が主と共に歩むなら、次に何をすべきかを主は示してくださる」ということを主は教えてくださいました。創世記24:27のアブラハムのしもべを思い出してください。「主はこの私を…導かれた(英訳:私がいるべき道にいたので、主は私を導いてくださった)」とあります。
 主の導きにより頼むことを学ぶ過程において、主はある素晴らしい事を私に示してくださいました。それは、主がある意味で、アンドルーを彼としては完璧に造ってくださった、ということです。今では私は彼の障害についてあまり悩みませんし、アンドルーを家族の大切な一員であり周りをなごませる愉快な息子だと思えるようになっています。私はヨハネ9:2-3 になぞらえて、こう言うことができます。「なぜアンドルーはウィリアムス症候群をもって生まれたのですか。」「神のわざが彼のうちにはっきりと現われるためです。」私はアンドルーを主に感謝しています。

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