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不妊

彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる灯心を消すこともない (マタイ 12:20)

○涙をご存じの主と共に

岡崎真紀姉(台湾宣教師夫人)

「ラケルは自分がヤコブに子を産んでいないのを見て、姉を嫉妬し、ヤコブに言った。『私に子どもを下さい。でなければ、私は死んでしまいます。』」(創世記 30:1)
 ヤコブは、ラケルとレアという二人の姉妹をめとりました。まもなくレアは妊娠して次々と子どもを産みますが、ラケルは何年たっても妊娠しませんでした。そこで、彼女が夫のヤコブに泣きついて言ったのがこの言葉です。 これを読んで、どう感じられるでしょうか。初めて読んだ時の私の感想は、「こんなことを夫に言っても、人間に何もできるわけがないのに。なんて愚かな人なんだろう」でした。でも、自分が同じ立場に立つようになると、それがまちがっていたことが分かってきたのです。
 1992年9月、30歳で結婚。結婚すれば、当然子どもが与えられると思っていました。毎朝、基礎体温を測って、排卵日を予測し、妊娠したら、まず誰に何と言って知らせようかと、わくわくしながら想像しました。しかし、毎月判で押したように正確に生理が来ます。翌年からは台湾宣教の準備として、日本全国の教会を訪問するようになりましたので、きっと忙しくて妊娠するひまがないのだろうと思いました。
 1994年10月、台湾に遣わされ、宣教地での生活が始まりました。言葉や習慣の違いから来るストレスはありましたが、前のようにしょっちゅう家を空けることはなくなり、ずっと自宅で暮らすことができますので、きっと妊娠できるに違いないと期待しました。
 台湾に行った頃、小さい子どもを連れている人や妊婦さんがよく目に付きました。日本と比べて、子どもの数が多いのか、そういう人たちも気軽に外出する習慣なのか、確かなことは分かりませんが、私の願望も大きく影響していたでしょう。しかし、いっこうに妊娠の徴候はありません。続けて基礎体温を測り、生理が遅れると、もしや、と期待し、失望し、落ち込む。ということを繰り返すうちに、次第に落ち込みが激しくなって、泣くことが増えてきました。「結婚して、まだ3年だから」と、自分でも思い、人からもそう言われましたが、慰めにはなりません。
 台湾に来て一年が過ぎ、結婚4年目に入った頃から、子どもが与えられるように、と祈ることができなくなってきました。神様は90歳のサラに子どもを与えられた。不妊だったラケルも、ハンナ、エリサベツにも、与えられた。
  神様はそれができる。--はい、そうです。
  神様は、私にも子どもを与えることがおできになる。--はい、信じます。
  御こころなら、年齢は関係ない。妊娠することができる。--はい、その通りです。
  でも、御こころであるかどうかどうして分かる?御こころでなかったら?

 期待せずには祈れない。期待すれば失望も大きい。家庭礼拝の時、主人はいつも子どものことを祈ってくれましたが、私は祈れませんでした。日本書籍のある書店に行った時には、不妊症についての本をぱらぱらとめくってみました。「2年以上、正常に性生活を営み、かつ妊娠しないことを、不妊症と診断する」
 結婚してから、もう4年以上たっていました。りっぱな不妊症です。私は35歳。早めに何かした方がいいのではないでしょうか。しかし、主人は医者に行くことに反対でした。ただ検査して、悪いところがあれば治したいだけ、と私は思ったのですが、主人としては、それさえも「人間的な方法」、「ゆだねていない」と感じられたようです。
 身近に接する中国人の中には、子どものいない人はいません。私の気持ちを分かってくれる人は、いそうにありませんでした。「そろそろ産んだ方がいいよ」とか、「いつ産むつもりなの」とか、言う方にしてみれば天気の話題と同じ、話の種の一つなのでしょうが、私は、一応笑顔で受け流しながら、心では泣いていました。
 クリスチャンの中には、励ましのつもりで、「感謝して祈っていれば、与えられるよ」と言ってくれる人もいました。しかし、これは、私にはいちばんきつい言葉でした。私は感謝も祈りもしているつもりなのに、これでは足りないと言うことなのでしょうか。
 また別のクリスチャンたちは、医者に行くことを勧めてくれました。しかし、どの医者に行けばよいのでしょう。主人の賛成なしに行くこともできません。主人は、医者を勧められるといつも、「神様が導いて下さる、御こころの時に必ず与えられると信じている」と答えました。それを聞いているのも、私には辛いことでした。「みこころの時」は、ないかもしれないのです。主人と同じように、「必ず与えられる」と信じることはできませんでした。
 もちろん、神様からの慰めも多くありました。個人のディボーションの中で、説教や、ほかのクリスチャンの証しを通して、どんなことでも神様にゆだねるべきであることを、何度も教えられました。子どもは神様の賜物なのですから、与えるかどうかは神様が決められることなのです。その神様は、私にいちばんいいことをして下さるはずなのです。私は、神様のご計画をすべて分からなくても、神様が私を愛して下さっていることが分かっていますから、それで十分です。十分なはずなのに、どうしてまだ悩むのでしょうか。
 世の富や名声、家族のそばにいられないこと、今まで、子ども以外のことでは、何でもゆだねられたのに。ゆだねて、あとは本当に平安で、何も葛藤はなかったのに。どうしてこんなに子どもがほしいのでしょうか。神様は、命をはぐくむ女性に、その思いを与えられたのでしょう。冒頭のラケルの言葉に戻りますと、私も今は、彼女の葛藤が手に取るように分かる気がします。理屈ではない、心の奥底から湧き出る願い。それが満たされない渇き。うち消そうとしてもうち消せない、姉への嫉妬。ラケルだって、夫がその願いをかなえる力のないことぐらい分かっていたと思うのです。でも、彼女が自分の気持ちを吐き出せる相手は、夫しかいなかったのではないでしょうか。私も、ラケルと同じ言葉は使わなかったにせよ、何度も主人には不可能なことを訴えました。主人が私の気持ちを完全に理解することはできないと分かっていても、どこかで吐き出さずにはいられませんでした。
 キリスト教書店では、「Dear God, Why Can't We Have a Baby?」という本を見つけ、数週間迷った末に購入しました。アメリカの伝道者夫妻が、自分の経験を書いた本の中国語版です。私にとっては、ほかにも自分と同じ悩みを持ち、同じように感じている人がいることを、本当に知った最初の経験でした。自分以外、すべての夫婦に子どもがいるように思えてしまうこと、期待と失望の繰り返し、人の何気ない言葉に傷つけられること、自分の体に何か問題があると認めたくない気持ちなど、私と同じ感情を経験した人たちが確かにいるのです。
 また、私は、この本から不妊治療に関するいろいろな知識と、中国語の語彙を学びました。評判のよい産婦人科医が、不妊治療の方面でも有能だとは限らないことや、かえって、不妊治療にかかわりたがらない医者も多いことも知りました。この本に書いてあるすべてに同意することはできませんが、ほかの何よりも私を慰めてくれたものの一つでした。
 1997年夏、別の地方の教会の研修会で、聖書を教える奉仕にあずかりました。奉仕者たちの素朴な信仰態度には、こちらの方が教えられることが多かったと思います。奉仕を終えて家に帰ろうとする時、恵まれた数日間を思い返し、「もし子どもがいれば、私は来ることができなかった。こんなすばらしい時を経験することもなかったのだ。子どもがいなくてよかったのかも・・・」という考えが浮かび、大急ぎでうち消しました。もし、自分の子を身ごもり、産み育てることができるなら、私は喜んでこの奉仕の恵みを投げ出すでしょう。子育てが終わるまで、働きは待ってくれるのではないでしょうか。いいえ、一人の(あるいは二人以上でも)人間を、神様のお役に立つクリスチャンに育てることは、りっぱな働きなのではないでしょうか。
 家に帰ってしばらくしてから、働きの必要上、インターネットを始めました。働きのために使う以外に、私はやりたいことがもう一つありました。不妊症について、妊娠のために私が今できることは何か、インターネットを通じて情報収集ができるのではないかと考えたのです。
 期待した通り、いくつかの不妊専門クリニックがホームページを持っており、不妊症の本に書いてあるのと同じような知識を提供してくれました。また、不妊の人たちが悩みや相談を書き込むことのできる掲示板も見つけました。初めは、「単なる傷のなめ合いだろう」と、よく見もしなかったのですが、そこには、私が感じていたのと同じ、失望やいらだち、葛藤をいだいている人たちがありました。未信者からこんなに慰められるなんて(こういう表現をすると怒られてしまいそうですが)、本当に思ってもいませんでした。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント 10:13)
 私のあった試練は、人の知らないようなものではない。もう私は孤独ではありませんでした。私と同じ試練に会っている人が、こんなに大勢いるのです。神様を知らないだけに、私以上に大きな悩みを、ひとりで抱えている人たち。
 そのホームページで、ある人は、自分と同時期か後に結婚した夫婦が次々妊娠して、焦りと嫉妬を覚える、そんな自分がいやでたまらないと書いています。また、孫を期待する双方の両親に申し訳なく思う人。夫との間までぎくしゃくしてしまっている人。医者に行って、いろいろと悪いところが見つかって落ち込んむ人もいれば、何も原因が分からないために悩む人もある。現代の進んだ医学の恩恵を受けることができるのを喜んでいる人もいれば、「自然」にこだわる人もいる。めでたく妊娠すればしたで、流産するのではないかと不安におののく人も。
 そこでは私も、主人にも言えないような悩みを、ありのまま、書くことができました。インターネットという顔を合わせない場だから、それができたのかもしれません。
 1998年に入っても、悩みは相変わらずでした。10月には台湾に来て満4年になり、帰国する予定でした。その頃には私は37歳になります。何かするなら少しでも早い方がいいのではないでしょうか。
 医者に行って、原因を突きとめたい。「できない」とはっきりすれば、きっとあきらめもつくだろう。そう思う反面、人工授精も体外受精もするつもりはありませんでしたから、単にタイミングを見てもらうだけなら、行っても仕方がないような気もします。ずっと反対していた主人は、「君の気がすむようにすればいいよ」と言ってくれました。そう言われても、まだ自分自身の気持ちがどっちつかずで、何週間か延ばし延ばしにしていましたが、とうとう、意を決して、以前から目を付けていた「不孕症」の看板のある産婦人科を受診しました。排卵誘発剤を飲み、超音波で卵胞の大きさを診て、タイミングを計る、ということを3ヶ月続けました。始めた頃には、これで妊娠できるような気がして、期待も大きかったのですが、やはりだめでした。また、人工授精を勧められることもいやでした。
 命を支配していらっしゃるのは神様です。現代医学がその領域に踏み込むことがどこまで許されるのか。インターネットを通じて知り合ったクリスチャンの中には、体外受精で妊娠した方もあり、「神様は、医学がこれほど進むこと許しておられるのだから、それを使うことも許されるべき」という意見も聞きました。当時の私の観念では、受精卵は一つの命なので、受精卵の廃棄の問題の出てくる体外受精はするべきでない、という程度でした。その後、もっと厳しい意見もあることを知りました。「性行為も生殖行為も、神様が夫婦にだけ与えられたもので、そこに第三者(医者など)が入ることや、性行為と生殖行為を切り離してしまうこと自体が誤り」。どちらが正しいのか、未だによく分からないのですが、神様に喜ばれないかもしれないことは、絶対にすまいと決めました。そうすると、性行為をいつ持つか、医者に決めてもらっている今の自分の状況は、「性行為に第三者が入っている」のと大差ないのではないかと思えてきました。よくよく考えてみれば、医者に行くようになってから、私は神様に期待せずに、医者に頼っていたのではないか。
 もう人間の医者に頼るのはやめよう。そう決心することは、私にとっては、子どもを永遠にあきらめることと、ほとんど等しいように思えました。しかし、この何年か、私が悩んでいたのは、子どもが与えられないという事実そのものではありませんでした。与えられないならそれでもかまわない。それは、神様が決められること。そう本当に思うのに、私の心の別の部分は、「我が子」を求めて叫んでいる。そういう、試練の前に超然としていることのできない自分、泣かずにいられない自分が、どうにもいやだったのでした。でも、神様が、私をこのように造られたのではありませんか。子どもをほしがる思いを私に与えられたのは、神様ではありませんか。
 そうでしたら、神様は、私のこの感情を理解して下さっている。これからも、やはり子どもがほしいと言って泣くとしても、そのすべての責任は、神様がとって下さる。泣いてもいいんだ。そう思った時、すっと楽になりました。神様は、私の涙を分かっておられて、責めたりなさらない。私は、神様の前で、ありのままの私でいていいのです。この試練は、まだ過去のものとなったわけではありません。今でも、生理の前になると、もしや、と期待しながら、失望に備えて心構えをしている私がいます。赤ちゃんや妊婦さんを見ると、心から祝福を祈る一方で、どこかに痛みを覚えている私がいます。すっぱりとあきらめることもできず、未練がましい私。でも、神様は、こんな私を愛して、受け入れて下さっているのです。これからも、愛して下さっている神様に頼って、ともに歩んでいきたいと思っています。

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